インペリアル・ポーセレンの歴史

 

1790年代の皇帝陶磁器工房


 



1744 設立年 エリザヴェータによる工房の創設

 

1744年、ピョートル大帝の娘で後の女帝エリザヴェータの命により、

ロシアでは初めての、そしてヨーロッパでは3番目となる磁器窯「皇帝磁器窯」が

サンクト・ペテルブルグに創設されました。


 

まさにこの場所で(写真)、才能あるロシア人化学者ドミトリー・ヴィノグラードフ(1720-1758)が

《ホワイトゴールド》の製法を発見したのです。

彼は、歴史上初めて、現代の陶磁器化学の概念に最も近い陶器生産における学問的文書を作成します。



ヴィノグラードフによって作られた陶磁器は、品質においてマイセンの磁器に劣らず、

原料の比率においても中国製陶器に近づくものとなりました。

最初の数年間ネフスキー陶器工房では、女帝エリザベータが外交上の贈り物にする、

煙草入れのような小さな製品をつくっていました。

1756年にヴィノグラ
ードフが大きな焼物窯を設置してからは、より大きな製品を作るようになります。


女帝個人が所有する自家用茶器セットが初めて作られたのもこの頃です。

 

1750年代には、人や動物の姿の陶器の「人形」を作るようになりました。

陶器の生産量の増加にもかかわらず、ごく内輪の側近たちだけのものでしかありませんでした。

18世紀には、陶磁器はほかの高価な品々と並び威信を有するものとして、

特別な宝庫で保管され、その後数十年を経てからテーブルに出されたのでした。



事業の状況や芸術的発展に関しては、何よりも宮廷、

その第一に君主の気質や欲求に依存するところが大きかったのです。




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1762−1801ロシア陶器開花期
エカテリーナ2世とパーヴェル1世統治下初期古典主義時代

 



 

エカテリーナ2世の即位から工場は再編成され、1765年からは皇帝陶磁器と呼ばれるようになり、

「全ロシアを満足させる陶磁器」を作るという任務を課せられることになりました。

皇帝陶磁器工場にデザイナーとして迎え入れられた有能なフランス人彫刻家ラシェートの活動が、

ロシア陶器へ大きな影響を与えました。

彼のもと工場では、古典主義が支配するフランスの芸術の影響がしっかりと定着したのです。




18世紀末はロシア陶磁器の開花期となり、皇帝陶磁器は、

ヨーロッパにおける主要な陶磁器工場のひとつとなりました。

エカテリーナ2世の命により、『アラベスク』、『ヤフティンスク』、『カビネット』という、

一千アイテムにも及ぶ豪華な食器セットアンサンブルを作ったことで、

皇帝陶磁器工場の栄光は絶頂となります。

アンサンブルの中央部分を占めたのは、女帝の偉業を称えるテーブルの彫刻装飾でした。

寓話的絵画もまたエカテリーナの高徳を称え、その治世の出来事を描き出していました。

女帝の承認のもと工場では、彫像シリーズ『ロシア民族』(約100体)の制作が始まり、

後にはペテルブルグの企業家たちや露天商たちまで様々な人物像が作られたのでした。

重要な品目では、花瓶の制作がありました。

絵画と形状を調和良く組み合わせ、陶器の白さと光沢のある釉薬の暖かさとを強調しました。



当時の人々は、著名人の絵画や彫刻と同様に

「エカテリーナ陶磁器」を高く評価していました。

民族学者で探検家のゲオルギーは、1794年のサンクト・ペテルブルグの記述で、

「陶器の純度、また美的センスや形状、絵画の観点から見ても現在の陶磁器は素晴らしい。

店頭の製品は、最も素晴らしい芸術品としてきわめて威風堂々としている。」

と書いています。


 


 

パーヴェル1世の即位に伴い、陶磁器工場への関心も母エカテリーナから受け継がれました。

彼は、工場に大規模な発注をし、自身も工場を訪れ、貴賓には喜んで工場を披露しました。



パーヴェル時代の食器セットは、皇帝の側近向けのものでしたが、

エカテリーナ時代のものとは、豪華さや荘厳さにおいてもひけをとりませんでした。

その頃になると、デェジェネ(フランス語で「昼食」の意味)という二人用食器セットが流行します。



芸術に造詣の深い侯爵ユスポフによる工場運営は、

パーヴェル1世の陶磁器の芸術的発展に多くの点で貢献するものとなりました。

18世紀最後の食器セットとなったのは、

パーヴェル1世が自身の新居ミハイロフスキー城に注文したものでした。

皇帝が非業の死を遂げるその前夜に食卓に設えられていたものでした。

宮廷の小姓が、「皇帝陛下は非常にお喜びで、陶器に描かれた絵に何度も口づけをし、

人生で最も幸せな日だ、と仰っておられました」と回想しています。

 


18世紀末の陶器セット
 



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1801-1825
アレクサンドル1世時代の事業再編成


 



 


アレクサンドル1世の治世に、皇帝の代理人として伯爵グーリイェフが工場を管理していました。

彼のもとジュネーブ大学教授ガッテンベルグの指導により、大規模な工場の再編成が行われました。

国内外の優れた職人を起用するため、グーリイェフは費用を惜しみませんでした。

当時の巨匠のひとりである芸術アカデミー教授ピーメノフを彫刻館の管理に任命しました。

帝政様式を確立するため、セーヴル陶磁器工場から優れた画家たちが招聘されていました。

しかしながら、ロシア式帝政陶磁器は、

当時ヨーロッパにおける芸術的到達基準となっていたセーヴル陶磁器とは著しく異なっていました。




 


 

 

ロシア陶磁器は皇帝の事業を賛美し、芸術における国のテーマや話題を反映していたのでした。

例えば、「グーリイェフ」食器セットには、1812年の祖国戦争で勝者となった人々が描かれています。

祖国戦争は、全部隊の軍服姿の兵士や将校たちを描いた一連の

『戦争プレート』が誕生するきっかけとなりました。

肖像画も広く普及しました。

皇帝陶磁器工場では、即位した人物や当時の著名人を茶器に描くのが慣例になりました。



アレクサンドル1世の時代を初めとして18世紀の終わりまで、

工場の生産で独特な位置を占めたのが花瓶でした。

金が装飾用素材として好んで使われるようになりました。

風景と戦争が主な絵柄でした。

二番目に重要な製品が宮殿用の食器セットでした。





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1825-1894
ニコライ1世、アレクサンドル2世、アレクサンドル3世の歴史上重要な時代


 


アレクサンドルとニコライ1世時代(1825-1855)には、

ペテルブルグのほぼすべての宮殿のために食器セットが作られ、

それぞれ際立つ特徴を持っていました。

その中には、「ロシア」を表すものもありました。

工場には、古代ロシアに詳しい考古学者ソンツェフの構想で作られた、

モスクワのクレムリン宮殿と

コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公のための食器セットがありました。



ニコライ陶磁器は、絵画が特徴的でした。

花瓶には、エルミタージュ美術館のコレクションの中から、

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ティツィアーノ、コレッジョ、ムリーリョなど

巨匠の複製画が描かれていました。

複製画は、驚くほど正確で繊細に描かれていました。

絵具の多彩さ、純度、輝き、そのすべてにおいて

オリジナルと合致していました。

花瓶や陶板に描かれた肖像画やイコン画、細密画も発展しました。

ロンドン、パリ、ウィーンで開催された世界博覧会では、

陶磁器絵画の最高位を獲得したのでした。



1844年、皇帝陶磁器工場の百周年には、

冬の宮殿に保管されていた品々を補充し、美術館を設立しました。

(アレクサンドル3世の時代には、同一製品を二つずつ作り、

ひとつは宮殿用に、もうひとつは美術館に、と決められていました)



アレクサンドル2世は前任者たちとは異なり、

工場に対して興味を示しませんでした。

1870年代には、工場の生産は縮小され、

さらにパヴロ1世の時代に作られた復活大祭やクリスマスの宮殿への贈り物だけを残し、

工場は、宮殿の保管庫に食器セットの補充を続けました。

製品の大きさは小さくなり、仕上げや装飾も非常に控えめになりました。

様々形状も基本的には古いヨーロッパや東洋のコピーでした。

「役に立たず儲からない」事業を閉鎖するという考えも出始めました。


 



工場を救ったのは、

『皇帝にとっては、・・・・・・皇帝陶磁器工場が技術的にも芸術的にも最良の環境に置かれ、

すべてのこの産業部門の働き手のために、皇帝の名を冠した立派な模範となることが望ましいのだ』

という、アレクサンドル3世の言葉でした。



工場では、食器セットの大規模な制作関連事業が始まりました。

絵柄は、皇帝自らが修正を手掛けた『戴冠式』や

バチカンのラファエロの開廊をモチーフにしたものです。

皇帝自身の個人的好みや愛着が影響し、工場が芸術的方向に向かったのでした。

皇帝は、中国や日本の花瓶、テラコッタ、色付きの釉薬、

コペンハーゲン王立工場が流行させた釉薬のかかった絵画を大変好みました。

釉薬のかかった絵画が皇帝陶磁器工場に広く用いられたのは、

皇帝の妻がデンマークの王女マリヤ・フョードロヴナだったということもあります。




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1894-1912
ニコライ2世の時代とロシアモダニズム


 



最後の皇帝ニコライ2世の聖には、

前の時代の技術革新により、

工場は技術上も生産の上でも模範的な域に達しました。

芸術的に優れた技術が工場の誇りとなり、

以後、第一次世界大戦の数年間には、

陶磁器の化学的及び電気工学的な統一部門が誕生することになります。

女帝アレクサンドラ・フョードロヴナの庇護下にあった工場が

1900年のパリ世界博覧会で敗退した後には、

彼女から二つの大規模な発注がありました。


それが、食器セット『アレクサンドリン』と『ツァールスカヤセロー』です。

ニコライ2世の注文で


アレクサンドル2世時代の軍服姿の部隊が描かれた『戦争プレート』シリーズと

カメンスキー作『ロシアの人々』という彫像シリーズを制作しました。

エカテリーナ2世の時代にシリーズは延長され、ロシアの国家理念の確立に貢献しました。

 



人形の要旨は、民俗学的な特徴をよく表しています。

1900年代の半ば以降には、

新古典主義の確立に寄与したコンスタンチン・ソモフ、

エヴゲーニー・ランセレー、セルゲイ・チェホーニンら

『芸術世界』協会の芸術家たちと結びつきをもつようになりました。


 

ワインセット一式(19世紀初頭)
ワインセット一式(19世紀初頭)

紋章入りコバルトセット(19世紀)
紋章入りコバルトセット(19世紀)




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1920年代
十月革命と1920年代の陶磁器


 

      

   

1918年に事業は国有化されました。

国立陶磁器工場はかつての宮廷のための工場から、


今度はプロパガンダという崇高な意義のある

「革命的テーマを持ち、非の打ちどころのない技術による完璧な」陶器を制作するための


『共和国的な陶器試験所』にするという課題を掲げた、

人民委員部の運営へと移行しました。

工場の芸術政策は、レーニンが明確に描いていた壮大な政治宣伝計画の

芸術的原則に則った構成部分となったのでした。

20世紀1920年代の陶磁器については、

完全な芸術性を備えながらも

プロレタリア革命の最初の数年の気運が反映され、歴史的真実味にあふれた、

おそらく、装飾美術工芸史上で最も興味深く


そして驚くべきものとしてその一頁に刻まれるでしょう。

後に「ソビエト帝政様式の巨匠」とよばれるようになったチェホーニンの指導指導のもと、

シェコーティヒナ・ポトーツカヤ、ダニコー、
クズネツォフ、レベデヴァ、アダモヴィチなどが

プロパガンダ陶器の創作に参加しました。

20年代の陶磁器は、クストーディエフ、ペトロフ・ヴォートキン、ダフジーンスキーや、

世界的な有名になったマレーヴィチやカンディンスキーらが関わっていました。

雪のよ
うな白さと建築様式の壮大さ、均整のとれた像、

そして絵画の色彩の豊かさを持った、

それまでの時代には狭い範囲の人だけが享有する芸術品であった陶器が、

革命思想の第一の最も輝かしい芸術的象徴となったのでした。

そして同時に、シュプレマティズムという芸術における

新しい傾向の概念の具体化のための豊かな素材となったのでした。


陶器の芸術的分野の到達以外に、

陶磁器の化学的技術的向上により、工場で初めて工学ガラスができました。

そして、偶然にもロシア科学アカデミーの開設から200年後の1925年、

ロシアの偉大な科学者ミハイル・ロモノーソフにちなんで命名されることになりました。

 

          



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社会主義建設の時代

 



1930年代、ソビエト連邦の文化建設と同時に、

レニングラード陶磁器工場では、国内初の芸術研究室が開設されます。

マレーヴィチ、スイェーティンの指導のもと事業の創作集団は、

社会主義的生活様式に合致するソ連陶磁器の新しいスタイルを作り出します。

有能な芸術家で指導者でもあるスイェーティンは、

「芸術世界的」装飾主義と自然界の写実的な再現によって、

本質的なシュプレマティズムの考えを具体的に示しました。

ヴァラビイェーフスキーをはじめとする芸術家たちの個人的な創作活動により、

レニングラード陶磁器は上品で穏やかな形状をもち、

色鮮やかに描かれた芸術的な絵柄で素材の白さを際立たせた外観をもつ陶磁器として、

長年にわたり定義されていました。




ロモノーソフ陶磁器工場には、

1930〜1950年代の国家の思想的課題と社会主義リアリズムを据えつけることはできませんでした。

華麗な花瓶、風景画や肖像画を生みだした優れた芸術家たちの幾世期にわたる経験によって

陶磁器工場は救われたのでした。

 

                        

       

   装飾皿『結婚』 ペトロフ・ヴォトキン(1920年代)

                     装飾皿『結婚』 ペトロフ・ヴォトキン(1920年代)

 

               

茶器セット『東洋の踊り』  アレクセイ・ヴォロビヨフスキー作

                     茶器セット『東洋の踊り』 アレクセイ・ヴァラビイェーフスキー作

 

1970年代、国際芸術産業展示会に積極的に製品を出品するようになり、1980年には、国際的権威のあるゴールド・マーキュリー賞を受賞しました。

1990年代の初頭からは、芸術性に優れた作家による最高級品の生産に力を入れるようになります。

現在では、紅茶セット、コーヒーセット、食卓セット、様々な食器、贈答用品、フィギュリン、飾り皿など、約4000種類の製品を生産しています。

また、硬質・軟質陶磁器、ボーンチャイナと材質も様々です。

絵付け作業は、手描き、機械によるもの、またその併用によるものがあり、希少で高価な絵具を用いて行われます。

数ある製品の中で最も有名なのが、「コバルトネットシリーズ」です。この食器はブリュッセルで行われた世界博覧会で金賞を受賞しています。

陶磁器製品の製造過程は非常に複雑です。

例えばティーカップひとつをとっても、それを作り上げるまでに80の作業過程があります。

細かな白色陶土、石英、長石、その他40種類に及ぶ様々な混合物を用い、古典的な陶磁器生産技術を基礎とし、18世紀半ばに練り上げられた 技術によって作られています。

              

  「ロモノーソフ記念レニングラード陶磁器工場」時代のロゴマーク (1936―2005)

              「ロモノーソフ記念レニングラード陶磁器工場」時代のロゴマーク (1936―2005)

                


  現在のロゴマーク

                             現在のロゴマーク

 

 

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